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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)16452号 判決 1993年1月28日

甲乙両事件原告

渡邉濱子

渡邉多喜子

渡邉総子

福井珠江

工藤多惠子

右原告ら訴訟代理人弁護士

杉政静夫

山嵜進

甲事件被告

真銅クリニックこと

真銅参太郎

右訴訟代理人弁護士

根岸攻

乙事件被告

社会福祉法人三井記念病院

右代表者代表理事

江戸英雄

右訴訟代理人弁護士

原田策司

井野直幸

主文

一  昭和六三年(ワ)第五四四二号事件被告真銅参太郎は、原告渡邉濱子に対し金一〇〇万円、同福井珠江、同工藤多惠子、同渡邉多喜子、同渡邉総子に対しそれぞれ金二五万円、及びこれらに対する昭和六〇年一一月二七日から支払い済みまでそれぞれ年五パーセントの割合による金員を支払え。

二  原告らの、昭和六三年(ワ)第五四四二号事件被告真銅参太郎に対するその余の請求を棄却する。

三  原告らの、昭和六三年(ワ)第一六四五二号事件被告社会福祉法人三井記念病院に対する請求を棄却する。

四  訴訟費用は、原告らに生じた費用の一〇分の一と、昭和六三年(ワ)第五四四二号事件被告真銅参太郎に生じた費用を、昭和六三年(ワ)第五四四二号事件被告真銅参太郎の負担とし、原告らに生じたその余の費用と、昭和六三年(ワ)第一六四五二号事件被告社会福祉法人三井記念病院に生じた費用を、原告らの負担とする。

五  この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一甲事件

甲事件被告真銅クリニックこと真銅参太郎(以下「被告真銅」という。)は、原告渡邉濱子に対し、金二九四五万七六九四円、同福井珠江、同工藤多惠子、同渡邊多喜子、同渡邉総子に対し、それぞれ金八一一万四六七三円及びこれらに対する昭和六〇年一一月二七日から支払い済みまで、それぞれ年五パーセントの割合による金員を支払え。

二乙事件

乙事件被告社会福祉法人三井記念病院(以下「被告三井」という。)は、原告渡邉濱子に対し、金四〇〇万円、同福井珠江、同工藤多惠子、同渡邉多喜子、同渡邉総子に対し、それぞれ金一〇〇万円及びこれらに対する昭和六三年一二月一日から支払い済みまで、それぞれ年五パーセントの割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、開業医である被告真銅の診断により約一か月強の間アルコール依存症及び尿管結石症の治療を受けた後、被告三井の診察を受けたところ既に末期の肝臓癌であることがわかり入院した当日に大量出血により死亡した患者の遺族らが、被告真銅に対し、誤診等を内容とする診療契約上の債務不履行に基づく損害賠償請求を、被告三井に対し、その後の診療についての債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償請求を、それぞれ求めた事案である。

一経緯

1  原告渡邉濱子(以下「原告濱子」という。)は、昭和六〇年一一月二七日死亡した渡邉末丸(以下「亡末丸」という。)(死亡時五四才の警備員)の妻であり、原告福井珠江、同工藤多惠子、同渡邉多喜子、同渡邉総子は、それぞれ亡末丸の長女、次女、三女、四女である。被告真銅は、内科等を診療科目とする真銅クリニックを経営する開業医であり、被告三井病院は総合病院を営んでいる(いずれも争いがない)。

2  亡末丸は、昭和六〇年一〇月七日、胃の痛みが原因で、被告真銅を訪れ、その診察を受けた。その後、亡末丸は、同月八日、一二日、一九日、二六日、一一月一日、同月八日、一五日に、それぞれ被告真銅の診察及び治療を受けた。被告真銅は、肝機能検査等と並行して肝庇護剤の投与等の保存的治療を続けていた(以上、<書証番号略>、被告真銅)。

3  亡末丸は、原告らの強い勧めにより、同年一一月二二日、被告三井に転院した。同日、被告三井が、亡末丸に対し、超音波検査を実施したところ、肝臓内に腫瘍が認められたので、亡末丸は、同月二六日午前、被告三井に入院した。しかし、同日夜、亡末丸は、大量吐下血による急激な血圧低下をきたしてショック状態に陥り、いったん心停止した。その後、被告三井が、人工呼吸装置をつけてその蘇生をはかったが、亡末丸は、意識を回復しないまま、翌二七日死亡した(いずれも争いがない)。

4  被告三井における亡末丸の解剖の際の病理の診断は、①肝細胞癌、②網嚢からの腹膜内大量出血であった(<書証番号略>)。

二原告らの主張

1  被告真銅に対する請求

(一) 亡末丸は、昭和六〇年一〇月七日、被告真銅を訪れた際に、被告真銅との間で、亡末丸の身体の変調に関して被告真銅がその機能、知識及び技術の最善を尽くして診療にあたるという内容の医療契約を締結した。

(二) 亡末丸が被告真銅の診察及び治療を受けていた間、被告真銅は亡末丸を、腰痛症、尿路結石症、腎性糖尿病、アルコール依存症と診断し、右診断の下に、胃薬の投与、血液検査、レントゲンの撮影指示とその読影等のごく簡単な診療に終始しただけで、肝臓癌等を疑診しなかった。

すなわち、亡末丸は、初診時において腹痛(肝癌の最も多い初期症状は腹痛である。)を訴え、また被告真銅は亡末丸の触診によりその肝腫大を認識しており、さらに亡末丸の血液検査の結果、その数値も異常を示していたのであるから、被告真銅は、遅くとも第一回の血液検査の結果が明らかになった時点で、超音波検査、IP、肝シンチグラム、上部消化管内視鏡検査、X線、CT検査、肝生検等の検査を行うべきであったし、あるいは確定診断及びその治療をするため、早期に転医勧告等の措置を講ずるべきであったのに、これらを怠り、肝細胞癌の存在を看過した。これは、被告真銅の誤診であり、同人が医療契約上負う債務の不履行である。

なお、被告真銅は肝障害を疑ったと主張するが、被告真銅は、肝臓障害のある患者に投与するのは禁忌とされているシアナマイドを亡末丸に投与していた。

(三) 被告真銅の誤診という債務不履行により、亡末丸は肝細胞癌について治療行為を受ける機会を奪われ、それにより死亡するに至ったことは明らかである。

(四) 亡末丸の死亡により、原告らは次のとおりの損害を被った。

(1) 葬祭費等 金一九九万九〇〇〇円

(原告濱子が負担。)

(2) 逸失利益

金二七九一万七三八八円

(原告濱子が二分の一、その余の原告ら四名が各八分の一を相続。)

(3) 死亡に基づく慰謝料

① 亡末丸固有の慰謝料

金九〇〇万円

(原告らが法定相続分で相続。)

② 原告濱子固有の慰謝料

金三〇〇万円

③ その余の原告ら固有の慰謝料

各金二〇〇万円

(4) 不適切診療に基づく慰謝料

金一〇〇〇万円

(原告らが法定相続分で相続。)

(5) 弁護士費用 金二〇〇万円

(原告濱子が二分の一、その余の原告らが各八分の一を負担。)

(五) 前記(4)記載の「不適切な診療に基づく慰謝料」について

被告真銅の誤診がなければ、亡末丸は一定の期間、延命し得たのであり、適正な診療を受ける機会を奪われ、長くはなかったとはいえ、余命を全うし得なかった亡末丸の無念は慰謝されてしかるべきである。

2  被告三井に対する請求

(一) 被告三井は、昭和六〇年一一月二二日、亡末丸との間で、同人の身体の変調に関して、被告三井がその機能、知識及び技術の最善を尽くして診療にあたるという内容の診療契約を締結した。

(二) 亡末丸は、被告三井に入院した同月二六日の午後二時ころから、胃の幽門部小弯側付近から出血を始め、漸次、これが持続し、ついには失血死するに至ったものであるところ、被告三井は、医療設備、スタッフ共に完備した都内有数の大病院であるにもかかわらず、これを看過し、大出血に対する適切な診療措置を怠り、亡末丸を失血死させた過失がある。被告三井のこのような亡末丸の緩徐な出血に対する見落としは、債務不履行ないし不法行為である。

(三) 被告三井の右見落としがなければ、直ちに適切な補液(輸液・輸血)を実施し、亡末丸が不可逆な出血性ショックに陥ることを防止し、安全を保つとともに、出血原因を突き止め、緊急開腹手術を実施してその止血をはかり、亡末丸を救命できたことは明らかである。

(四) 亡末丸の死亡により、原告らは次のとおりの損害を被ったから、その内金額の賠償を求める。なお、被告真銅における不適切診療に基づく慰謝料の主張を、被告三井に対しても援用する。

(1) 葬祭費等

前記第二の二1(四)記載のとおり。

(2) 逸失利益

(3) 死亡に基づく慰謝料

(4) 弁護士費用

金八〇万円

(原告濱子が二分の一、その余の原告らが各八分の一を負担。)

三被告真銅の主張

1  診療過誤の不存在

被告真銅は、亡末丸の主訴、症状、身体所見及び検査結果から肝障害、尿路結石症、腎性糖尿病、腰痛症等を疑い、対症療法ないし保存的治療を行いながら経過観察をしていたのであり、肝癌を疑わせるものはなかった。すなわち、肝の腫大は触知されたが、大きさは一横指程度であって、肝癌を疑わせるような固く表面が不整な肝腫もしくは固い腫瘤形成ではなかったし、また、亡末丸から腹部膨満、上腹部痛、右季肋部の圧痛及び自発痛、体重減少等の訴えはなく、腹水、黄疸、原因不明の発熱等の症状の発現もなく、さらに血液検査の結果についても、肝細胞癌以外の肝障害の数値として一般にありうる数値であった。

そして、被告真銅が亡末丸を診療したのは、昭和六〇年一〇月七日から同年一一月一五日までの約四〇日間にすぎず、この期間に限定する限り、被告真銅が、亡末丸につき肝癌を疑い、精密検査を実施する段階には達していなかった。むしろ、亡末丸の無断転院により、確定診断に至らないうちに被告真銅の診療が中止されたのである。

なお、被告真銅が亡末丸を診療した当時の医療水準は、一般開業医が手軽に超音波診断装置を利用する段階には達していなかった。

2  亡末丸死亡との因果関係の不存在

(一) 亡末丸は、一般の癌患者にみられるように癌の進行にともなう全身衰弱が原因となって死亡したものではなく、被告三井入院当日の夜に、大量吐下血による急激な血圧低下をきたしてショック状態に陥り、右状態から回復しないまま死亡したものであるところ、亡末丸が出血性ショックにより死亡するか否かは、被告三井の実施した措置如何にかかるものであるから、亡末丸の死亡と被告真銅の診療行為との間には因果関係は存在しない。

(二) 肝癌は、他の部位の癌と比較して飛び抜けて生存率が低く、一年後の生存率はわずか一〇パーセント、二年後の生存率は〇パーセントである。そして、亡末丸の病理解剖所見によれば、同人は極めて進行した原発性肝細胞癌に罹患していたのであるから、被告真銅がその診療期間内である四〇日のうちに肝癌の診断に至っていたとしても、亡末丸の延命可能性に影響を及ぼさなかったことは明らかである。

四被告三井の主張

1  過失行為の不存在

亡末丸の出血部位は網嚢(胃の後方を占める腹腔の一部で、胃の小弯と十二指腸の上部の間に張る腹膜である小網で覆われている部位)であり、同人の入院当日の昭和六〇年一一月二六日午後一一時三〇分ころ、網嚢の血管が破裂し、一瞬にして腹腔内に大量の出血をきたして呼吸停止状態に陷ったものであって、原告らが主張するように長時間にわたって出血性ショック症状を呈していたのではない。網嚢の血管の破裂による出血は極めて稀な事態であり、しかも瞬時に発生するものであるから、事前に予知することはできず、これを予防することは不可能であった。被告三井では、呼吸停止を直ちに発見し、数分以内に蘇生術を開始しており、過失はない。

2  亡末丸死亡との因果関係の不存在

亡末丸は、被告三井に転院当時、既に、末期の肝細胞癌に罹患しており、網嚢の出血も肝細胞癌による門脈圧亢進が原因となった可能性があるが、網嚢からの出血は、被告三井の万全の治療にもかかわらず不可避的に発生したものであり、被告三井は亡末丸の死亡につき、何ら責任はない。

五主要な争点

1  被告真銅の責任

(一) 被告真銅の診療につき、債務不履行の有無。

(二) 債務不履行があったとして、亡末丸死亡との因果関係の有無。

(三) 原告らの損害の有無。

2  被告三井の責任

(一) 被告三井の診療につき、過失ないし債務不履行の有無。

(二) 過失等があったとして、亡末丸死亡との因果関係の有無。

(三) 原告らの損害の有無。

第三争点に対する判断

一亡末丸の初診から死亡までの事実関係について

前記第二の一の経緯及び証拠(<書証番号略>、証人永原、同松本、同鵜沼、原告濱子、被告真銅)によれば、以下のとおりの事実が認められる。

1  亡末丸は、昭和六〇年一〇月七日、同月四日に眠られないほど胃が痛んだことがきっかけで、被告真銅のクリニックを訪れた。それ以前から、亡末丸には、体重減少、顔色不良、過労等の症状が現れており、原告らは医者に診てもらうよう勧めていた。

七日の初診において、亡末丸は、四日前から右脇腹が痛いことのほか、過労及び飲酒量の増加を訴え、既応歴としては、胃潰瘍(手術はしていない。)と糖尿病を述べた。そこで、被告真銅は、まず右脇腹の痛みについて亡末丸を触診したところ、肝臓の腫大には触れたが、押しても痛くないようなので、四日前からの痛みの内容、長さ、間隔等は聞かなかった。そして、右脇腹よりももう少し右後ろの方が痛いと亡末丸に言われたため、腹部には異常なく腰痛であると判断し、その原因は尿路結石であると診断したが、肝臓が腫大していたことから、肝臓の検査のため採血した。

また、尿検査をしたところ、ウロビリノーゲンと糖がやや増えていたが、血糖値は正常範囲内であったので、真性ではないが、腎性の糖尿病であると診断した。併せて、亡末丸は飲酒量の増加を訴えており、ウロビリノーゲン値も高かったので、アルコール性の肝疾患とも診断した。

被告真銅は、以上の四種類の診断をした上、腰痛及び結石の対症療法として投薬及び注射をし、さらに精神安定剤も出した。

2  翌八日の診察において、亡末丸は、筋弛緩剤の注射を受けた上、被告真銅の妹の担当する真銅クリニック内の精神科に回され、そこでアルコールを控えるための抗酒剤(シアナマイド)を渡された。

3  同月一二日、亡末丸の三回目の診察時には、既に血液検査の結果が戻ってきていた。右検査結果によると、黄疸のメルクマールとなる総ビリルビン値は正常範囲内だったが、GOT値(肝機能指標)は正常値の四〜五倍、GPT値は正常値の三倍を示していた。また、AL―P(アルカリフォスファターゼ)値は正常値の1.5倍程度であったが、γ―GTP(ガンマーグルタミール・トランスペプチターゼ)値は五九七で正常値の一〇倍以上を示していた。

被告真銅は、この検査結果を見て、肝障害がなくてもアルコールを飲み過ぎるとこの程度の数値は出ると考え、アルコール性の脂肪肝、繊維症、軽い肝硬変等を念頭に置いた。なお、この日の尿検査の結果は正常であり、亡末丸から腰の痛みもなくなったと聞いたので、腰痛や結石に対する投薬を減らして、肝庇護剤を出すことにした。

4  同月一九日の診察時、亡末丸から先日下痢だったと聞いて、被告真銅は、肝庇護剤等に加えて、ビタミン総合剤を投与した。

5  同月二六日、再び、鎮痙剤、肝庇護剤を投与した。腰の痛みは消えたと聞いていたのに鎮痙剤を出したのは、尿路結石の疑いもあったので、石が自然に出るよう促進するためだった。この日、レントゲンで石を探すため、X線検査を江戸川区医師会の医療検査センターに依頼した(真銅クリニックにもレントゲンはあった)。当日、その結果報告があったが、その報告書には、小さな石灰化像はあるが尿管結石とは言えないので、超音波検査あるいはI・Pをお願いするとの趣旨の記載があった。

6  同年一一月一日、亡末丸はげっぷが出ると訴えた。尿検査はウロビリノーゲンがプラス3と前よりも増えた。

7  同月八日、再度、血液検査のため採血をした。この日、亡末丸から尿が赤いと聞いた。

8  同月一五日、二度目の血液検査の結果が戻ってきた。大きな変動はなかったが、総ビリルビン値が1.5(正常値の1.5倍)となったため、被告真銅は潜在性黄疸と判断した。この日の尿検査でも、ウロビリノーゲンがプラス3となった。

9  同月二二日、亡末丸は、原告らの強い勧めもあって、被告三井を受診した。外来の医師が診察したところ、昭和六〇年九月末から腹部膨満及び浮腫があるとのことであり、既に眼球結膜に黄疸が、下肢には浮腫が出ており、触診したところ、肝臓が二横指の幅で触れて固く、脾臓にも触れた。そこで、胸部X線、心電図、腹部エコー(超音波検査)、採血、腹部の胆汁写真の各検査の指示が出された。

当日の血液検査の結果により、白血球が多少増加し、GOT値が正常値の約七倍になり、総ビリルビン値が4.9まで上昇していることが判明した。さらに、腹部超音波検査の結果、肝臓に多発性占拠病巣があること、肝腫大になっていること、多量の腹水があること、肝臓中の門脈に塞栓があることがわかった。そのため、消化器内科専門の椎名医師が診察を替わり、多量の腹水や下肢の浮腫を緩和するため利尿剤を処方した。さらに肝臓癌が最も疑わしかったので、その検査及び治療の目的で、被告三井への入院予約がなされた。

10  同月二六日、亡末丸は被告三井に入院した。椎名医師の指導を受けている永原医師(研修医)が、亡末丸の問診及び診察を担当した。その結果、亡末丸には四肢の浮腫、眼球結膜の黄疸が認められ、触診したところ、腹部膨満ないし腹水増大のため肝臓及び脾臓に触れることができず、圧痛もあった。そこで、永原医師は、肝硬変ないし肝癌としてはかなり末期的な段階であると診断した。指導医の椎名医師の診断も同様であった。

これを受けて、被告三井は、確定診断をなすべく、まず、採血で簡単にできるAFP(α―フェトプロテイン〜腫瘍マーカーの一種で癌の検査に有益である。)の測定を行い、それからCTスキャンを実施することとし、次に診断上重要な腹腔動脈血管造影を行い、さらにできれば肝シンチグラム(薬品を使って肝臓の全体像を写す検査方法。)及び骨シンチグラム(肝癌は骨に転移することが多い。)も実施することになった。同日、採血、緊急生化学検査(血液検査)、尿便検査の指示が出され、翌二七日に再び採血、二八日にCT、二九日に腹腔動脈血管造影等の実施が指示された。そして、永原医師は、亡末丸(食事のできない状態だった。)の脱水の補整のため、また、全身状態がよくないことから万一に備えた血管(静脈)確保のため、輸液(ソルビットMT)をするよう指示した。

二六日午後一二時三〇分から輸液が開始された。同日午後二時の血圧は一〇〇と五〇だった。同三時、腹部膨満感を減らすため、利尿剤(ラシックス)が投与された。午後六時には血圧が八六と六〇になり、脈は一分間一〇四回となった。午後七時三〇分に利尿剤を再度投与し、さらに吐気止めの注射(プリペラン)と湿布をした。午後九時、尿量が十分でないため、導尿をしたが、褐色の尿が三〇ミリリットル排泄されたにとどまり、全般的に乏尿状態だった。そのころ、血液の混ざらない普通便がごく少量排泄された。午後一〇時三〇分、亡末丸からナースコールがあり、動悸がして苦しいから薬が欲しいとの訴えがあった。脈は一〇四回だった。午後一一時三〇分(脈は一一〇回)、亡末丸の点滴が漏れているのを看護婦が発見し、器具を取りに行って数分後に病室に戻ったところ、既に亡末丸の呼吸が停止していた。直ちに、心臓マッサージ、人工呼吸、昇圧剤や電解質の補給、導尿のためのバルーンの留置等が行われたが、亡末丸が出血性の危篤ショックに陷ったので、気管内挿管をしたところ、翌二七日午前〇時過ぎにいったん血圧が回復した。蘇生後、膨満している腹部の穿刺をしたところ、血性の腹水が吸引された。その後、2.2リットル以上の輸血を行い、昇圧剤点滴、人工呼吸器装着等が実施されたが、徐々に血圧が低下し、結局、亡末丸は、蘇生後に意識を回復することなく、二七日午後五時七分に死亡した。

二前記一で認定した事実をもとに、被告真銅の責任の有無を検討する。

1  債務不履行の有無

以下の理由から、被告真銅の亡末丸に対する診療行為には、被告真銅が診療契約上負担していた債務の不履行があったものと認められる。

(一) 初診時の右脇腹の触診について

被告真銅は、亡末丸の肝腫大を認識したが、肋骨弓の所から一横指の幅にとどまると判断し、腹部には異常なしと診断したのであるが(被告真銅)、亡末丸が初診時の昭和六〇年一〇月七日からわずか一か月半後の同年一一月二二日に被告三井で受診した時点では、既に肝硬変ないし肝癌の末期的段階であるとの診断がされていたのであるから、被告真銅の初診時においても、肝臓が実際に何横指触れたかは別として、相当程度の肝臓の腫大があったものと推認される。

このような状況で、被告真銅は、亡末丸が自発痛を訴えていた右脇腹を触診したところ、もう少し右後方が痛いと言われたため、腹部には異常なく、腰痛であると診断したのであるが、何横指かともかく肝臓が触知されていること、亡末丸から、最近酒量が増加していると聞かされていたことを考え併せると、少なくとも、この時点で肝疾患を疑うべきであった。

(二) 血液検査の数値について

成書によると、γ―GTP値が五〇〇IU/lを超える場合は、異常値の中でも最も高度上昇の部類に属するが、このような場合、疑うべき原因疾患及び病態としては、アルコール性肝障害、肝外閉塞性黄疸、肝細胞癌が挙げられる。この場合、肝癌か否かの診断にあたっては、AFPを始めとする腫瘍マーカーの測定による診断、超音波検査、CTスキャン、血管造影が有用とされている(以上、<書証番号略>)。

ところで、本件においては、亡末丸の第一回目の血液検査の結果、γ―GTP値は正常値の一〇倍以上を示す五九七IU/lであった。これに対し、被告真銅は、アルコール性の肝障害でもこの程度の上昇はあるし、黄疸を示す総ビリルビン値が正常値であり、肝臓癌の時に著明に昂進するAL―P値が正常値の1.5倍程度だったから、肝臓癌を疑わなかったし、また、アルコール性肝障害の場合は、断酒により好転するからしばらく経過観察をしようと思ったのだと弁解した。しかしながら、総ビリルビン値は、原発性の肝癌で肝硬変を合併しない場合には上昇しなくても不思議ではないことや(証人松本)、先に述べた腫瘍マーカーの一つであるAFPは、原発性の肝細胞癌に非常に特異的に反応するもので肝癌の診断にきわめて有効なものであるところ、右検査は、比較的に簡単な検索方法であることを考え併せると、AFPの測定はなされてしかるべきであった。

(三) 超音波検査について

超音波検査は患者に対する侵襲が少なく、肝臓癌の診断には決定的な検査であるし、特に肝腫大の鑑別診断には、この検査はごく当たり前のこととされている(<書証番号略>)。右の血液検査の結果は、肝臓の異常を示していたのであるから、被告真銅としては、さらにこの超音波検査をなすべきであった。被告真銅は、超音波検査については、当時の医療水準からすれば一般開業医が利用しやすい状況にはなかったと反論する。しかし、昭和六〇年当時、レントゲン撮影を依頼した江戸川区医師会の検査センターからの報告書(<書証番号略>)中には、読影担当者からの希望(指示)として、尿管結石かどうかわからないので、確定診断のため、超音波検査又はI・Pをお願いしますとの指示にみられるように、当時としても超音波検査をすることはごく普通のことであったと推認されるから、超音波検査装置を備える医療機関に亡末丸を送るなり、あるいは転院させるなりしてしかるべきであった(現に、被告真銅は、自分のクリニック内にレントゲンがあるにもかかわらず、より精度の高い方がよいとして、わざわざ前記検査センターに亡末丸を送っていた)。

(四) シアナマイドの投与について

被告真銅は、シアナマイドを投与したのは、精神科を担当する妹であったと言う。しかし、一般に、シアナマイドの使用は肝臓に少しでも障害のある患者に対しては禁忌とされている(証人松本)。亡末丸に対しては、初診の翌日である一〇月八日から同月二一日までシアナマイドが投与されているが(<書証番号略>)、第一回目の血液検査の結果が戻ってきた一〇月一二日には、少なくとも亡末丸に肝疾患のあることははっきりしていたのであるから(だからこそ、被告真銅も肝庇護剤を投与し始めた。)、遅くともこの日の診察の時点で、直ちにシアナマイドの投与をやめさせるべきであった。

(五) 二回目の血液検査後の処置について

第一回目と大きな変動はなかったが、総ビリルビン値及びAL―P値がそれぞれ正常値の1.5倍になっていた。この値は黄疸を示すものであるから、この検査結果のわかった一一月一五日の診察時において、被告真銅は、直ちに亡末丸を精密検査及び治療のために転院させるべきであった。被告真銅は、法廷でこの頃そろそろ転院を考えたと述べるが、それならこの日に直ちにその処置をとるべきであった。

(六)  以上より、触診及び血液検査の結果からも肝臓癌の可能性を疑わず、肝臓癌の診断に有用で手軽なAFP値の測定や腹部超音波検査も行わず、漫然とアルコール性肝障害の治療を続けた被告真銅には、亡末丸との診療契約上の債務の不履行があったと認められる。

2  被告真銅の債務不履行と亡末丸の死亡との因果関係の有無

仮に、被告真銅が第一回目の血液検査の結果の出た昭和六〇年一〇月一二日に、肝臓癌を疑い、直ちに亡末丸を治療ないし転院させたとしても、次のとおり、亡末丸が延命し得たと認めるに足りる証拠はない。

すなわち、解剖所見によれば、既に肝臓の九〇パーセントが癌病巣で占められており(<書証番号略>)、被告三井に入院した一一月二六日の時点では既に肝臓癌ないし肝硬変の末期的段階にあって、外科的な処置は適応外であると診断されたが(証人永原)、そうするとそれより以前の一〇月一二日頃の亡末丸の肝臓癌も既に相当進行した状態にあったものと推測される。また、肝臓の殆どを癌病巣が占めるような場合には、通常は身体のいろいろな箇所に癌が遠隔移転をしているから、何らかの治療が施されたとしても、亡末丸の予後は極めて不良であったものと考えられ、亡末丸の延命期間は仮に延命可能であったとしても月単位であったと推測される(<書証番号略>、証人松本。なお統計によっても、諸臓器の中でも肝臓癌の患者の生存率が突出して低いとされている。(<書証番号略>))。

結局、被告真銅がその診察時において、亡末丸の肝癌を発見してその治療にあたり、あるいは転院させるなどの適切な処置をとったとしても、それにより亡末丸が延命できたかどうか、あるいは延命できたとしてもどの程度の期間の延命ができたかについては立証されていないという他はなく、延命の可能性は絶無とは断定できないとしても、その可能性は極めて少なかったのではないかと推測される。とすると被告真銅の適切でない診療行為と亡末丸の死亡との間には相当因果関係を認めることはできない。

3  損害の有無

被告真銅の不適切な診療行為と亡末丸の死亡との間には相当因果関係を認めることはできないし、被告真銅の診療が適切であったならば延命の可能性があったと認めることもできない。

ところで、患者は医師に対し、その当時の医療水準による適切な診療を求めてその診察を受けるのであるが、適切な診断が行われたとしても、既に現在の医療水準から見て既に、延命の見込みが全くなく、なす術がないことが明らかで、座視する他がないことが明白な場合は格別、そうでない場合には、例え重篤な状況にあって、いずれ死を免れないことが判っていたとしても、その生命の維持又は延命に向けて真摯な治療を続けるのが一般であるし、またそうすべきであり、そのような治療を求める患者の期待は合理的なものとして法的に保護されるべきである。医師は患者に現代の医療水準による適切な診療を施さなければならないという職業上の義務を遂行できるよう研鑽を怠ってはならない。

しかるに本件においては、被告真銅は、徴候を見過ごして疑うべき肝臓癌を疑わず、そのための検査も行わずに、漫然と飲酒過多による肝障害等に対する治療を続けたに過ぎなかったのであるから、医師としての義務を怠ったことは否定できない。その結果、亡末丸は、被告真銅が肝臓癌を疑ってそのための処置をとるべきであった昭和六〇年一〇月中旬頃から被告三井の病院において診断を受けた一一月二三日までの約一か月半弱の間、被告真銅の不適切な診断の故に原因が何であるかを知ることができず、医師や家族と共に肝臓癌と最後の相応の闘いをなす機会を失ったのであった。亡末丸は現代の医療水準から一般の患者が受けるであろう適切な診療を受ける機会を逸してしまったのである。誤診や不適切な診療と死との間に相当因果関係が認められず、診療が適切であったならば延命可能性があったと認めることはできないとしても、適切な診療をなすべきであったと認められる以上は、その適切な診療を受ける機会を失ったことの損害があることを否定することはできない。これは精神的損害であって慰謝料を以て償われるべきものである。

4  損害額

本件においては、前記二の1ないし6で述べたように、被告真銅の診療行為は、亡末丸の重篤な肝臓癌を見落とした点は、診療契約締結当時の医療水準に照らして適切かつ妥当な診療であったとは言い難いが、仮に延命できたとしてもその期間は長いものであったとは考えにくいことやその他の本件に現れた一切の事情を考慮すると、被告真銅の債務不履行による亡末丸の慰謝料は金一〇〇万円を相当とする。原告らはこの慰謝料請求権を相続により取得した。

原告らがこの慰謝料請求権を実現するためには、本件訴訟を提起してこれを追行する他なかったが、そのために要した弁護士報酬相当額も被告真銅の債務不履行と相当因果関係にある損害であるということができる。本件訴訟追行の難易度やそのために時間や労力等を考えると、慰謝料認容額と同額ではあるが、その報酬額は総額で金一〇〇万円を相当とする。

とすると原告らの被告真銅に対する請求は、合計で金二〇〇万円の限度で理由がある。

三前記一で認定した事実をもとに、被告三井の責任の有無を検討する。

1  亡末丸の死因

(一) 亡末丸の病理解剖の結果、同人の肝臓(二七九〇グラム)には肝硬変を伴わない肝細胞癌(肝臓の九〇パーセントを占めていた。)があった。また、腹腔内の特に網嚢におびただしい血液があってフットボール状を呈しており、大量の凝固血が幽門部小弯側の漿膜に付着していた。しかしながら、組織学的には出血点も血管の異常(破れ等)も認められなかったので、病理医は出血点を小弯側の小網と推定したにとどまった(大量の凝固血がその部分に存在していたことを理由とする)(以上、<書証番号略>)。

(二) 一般に、末期肝臓癌患者が出血により死亡するのは、肝臓癌破裂、肝臓癌に合併する肝硬変によるる食道静脈瘤破裂、同じく合併する消化器の潰瘍からの出血の三つが考えられるが(<書証番号略>、証人永原、鵜沼)、本件においては肝硬変はなかったから食道静脈瘤破裂は考えられず、また、肝臓癌の破裂や潰瘍からの出血も組織学的には認められていない(<書証番号略>)。とすると、直接の死因は、網嚢部からの出血であるとしか言いようがない。網嚢には動脈も静脈もあり、組織学的に出血部位が判定できないようなピンホール位の小さな穴があったとしても、瞬時に致死量に近い出血で死亡するということはあり得ることである(証人鵜沼)。

網嚢部からの出血が直接の死因であったとしても、その出血の原因を特定することはできない。すなわち、肝臓癌の癌細胞が門脈に詰まって塞栓を起こし、その結果門脈圧亢進症を起こし、それが原因となったということも考えられないではないとの証言もあるし(証人松本)、病理解剖結果中にも、考えられる出血原因として肝細胞癌による門脈圧亢進症が挙げられているが(<書証番号略>)、いずれも推測の域を出ず断定を下すことはできない。したがって、本件の大量出血の基礎が肝臓癌にあることはほぼ間違いないとしても、その医学的機序を説明することはできない。

2  以上検討した亡末丸の死因を前提として、被告三井に、亡末丸の直接の死亡原因となった大量出血が予見可能であったか否かを検討する。

亡末丸が死亡したのは、原告らが主張するように一〇月二六日午後二時ころから緩徐な出血が始まっていたか否かはともかく、直接的には、同日の午後一一時三〇分ころに、網嚢の血管が破裂し、一時に大量の出血が生じたためであるが、網嚢の血管破裂による出血は極めて稀な事態であり、既刊の医学文献にもそのような前例は報告されていない(前記一の10、<書証番号略>、証人松本、証人永原、証人鵜沼)。この点について、原告らは、以下の三点等から、被告三井は、亡末丸の出血を疑い、適切な輸液ないし輸血を実施すべきであったと主張する。

(一) 亡末丸の尿量について

亡末丸については、一〇月二六日午後九時の時点において、一一時間 (午前一〇時から午後九時まで)で約一八〇ccの蓄尿しかなかったが(<書証番号略>、証人永原)、一般に、一時間あたり五ないし一五ミリリットルの尿量の場合は乏尿とされ、同じく一五ないし二五ミリリットルの尿量の場合は乏尿傾向とされていることからすると、出血ないし出血性ショックを疑うべき一つの徴候である(<書証番号略>、証人松本)。

(二) ヘマトクリット値について

初診時における亡末丸のヘマトクリット値は、35.9パーセントであって、正常値(男性41.5ないし52.3パーセント)を下回っていた。一般に、同値の低下の原因は貧血であるから、出血を疑うべき一つの徴候であった(<書証番号略>、証人松本)。

(三) 脈拍、血圧、動悸等について

亡末丸は、一〇月二六日午後六時以降、脈拍が一〇四(午後一〇時には一二〇)に上がり、血圧も収縮期八五・拡張期六〇であったものが、収縮期八〇・拡張期五〇へと下がり、また、動悸や吐気を訴えていた(<書証番号略>)。このような症状は、出血を疑うべき一つの徴候である(<書証番号略>証人松本)。

しかしながら、被告三井の永原医師らが、前記徴候にもかかわらず、直ちに輸液ないし輸血を実施しなかったのは、肝癌が原因の出血として通常考えられるのは、消化管出血と肝癌の破裂であるところ(前記のとおり、網嚢からのそれは極めて稀なものである。)、亡末丸には、消化管出血の場合にみられる吐血や下血も、肝癌の破裂の場合にみられる激しい腹痛や血圧の急速な低下もなかったこと、尿量(乏尿としては軽度で、基準値の限界線にある。)や血圧低下(血圧の低下は、急速なものではない。)等の前記徴候は、脱水に伴う症状とも考えられたこと等を総合し、肝癌を原因として通常考えられる出血はないと判断したためであったが(前記一の10、<書証番号略>、証人永原、証人鵜原)、この判断が適切を欠いたと認めることはできない。

以上を総合すると、被告三井において、亡末丸に現れていた原告ら主張の徴候等から、その死因となった極めてまれなケースである網嚢の破裂による大量出血を事前に予見することは不可能であったと言わざるを得ない。

よって、被告三井に対する原告らの請求は理由がない。

(裁判長裁判官髙木新二郎 裁判官佐藤嘉彦 裁判官釜井裕子)

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